豊川市民の皆さん、歴史好きですか?

キングダムは好き。
天下の大将軍ですよ~ココココ~。
いや、王騎将軍じゃなくて。
豊川市の歴史に
興味あります?
とお聞きしたい。



…。
…。
まぁないよね。
正直なところ私は…
はっきり言って
興味なし!
なわけでして。



同じく。
豊川市民の65.1%(超適当)は「ぶっちゃけ歴史に興味がありません」って感じじゃないでしょうか。
いやというのもね、最近、何か開けた土地を見つけたんです。
で、そこにこういう看板が立ってたんですよ。
文化財保護用地
豊川市
これです。




どこか分かります?



もうちょっとヒントくれ。
いいよ。周辺はこんな感じ。







あ!姫街道から斜めに入ったとこか!
おお、正解です。
姫街道を国府方面に進み、「佃」交差点を左斜めに入ったところです。
国府へ向かう時にちょくちょく通る道なんですが、何かいつもと違う気がすると思いまして。
場所は「豊川市白鳥町上郷中26」の辺りです。
奥に見えるのが、姫街道沿いにある「東海典礼 上宿会館」です。


すごい開けた土地なんですが、以前はこんな感じでした。



えー!由緒正しそう…!!
でしょ!
私も調べた時にびびったもん。
こういう建物、逆に壊しちゃって良かったんでしょうか?
で、大して興味もないけど、ちょっと調べてみたわけ。
※豊川市の資料等をChatGPTに読み込ませて、要約したものを参考に書いておりますので、間違ってたらすみません!
実はこの場所、
三河国府跡
(みかわこくふあと)
です。



…分からん。
ですよねー(笑)
三河国って、要は現在の東三河と西三河を足したものです。
昔の「三河国」と「尾張国」が合体して愛知県になったんですが、今の都道府県ほどの大きさはないにしろ、三河国という一つの県だったと考えていいでしょう。
時は飛鳥時代まで遡ります。西暦600年代頃ですね。



古い!
飛鳥時代に律令制度が整えられて、日本が「国(くに)」という行政区分で分けられます。
この頃にはすでに三河国(みかわのくに)があったらしい。
んで、今から約1300年前の奈良時代に国府、国分寺、国分尼寺が作られてそうな。
つまり…
- 三河国府
- 三河国分寺
- 三河国分尼寺
です。
国府(こくふ)というのは役所で、現代の県庁に近いものでしょうか。
- 税の管理
- 裁判
- 戸籍
- 行政
などの役割がありました。



ってことは県庁の跡なの?
そうなんです!
三河国府跡があるってことは…
1300年前の
豊川市は
三河の政治の
中心地だった
可能性があるってことです。すごくない?



うん、すごい気がする!
その後、戦国時代は徳川家の岡崎が中心に、江戸時代は岡崎や豊橋が中心になるなど、時代によって中心地は移動していきます。
それでも飛鳥時代から明治4年(1871年)の廃藩置県で廃止されるまで、約1200年も続いた三河国。
初期の頃とはいえ、その中心地だったであろう豊川市…って考えると、豊川市民であることにちょっと誇りを感じます。
さっき出てきた「国分寺」と「国分尼寺」について。
奈良時代に聖武(しょうむ)天皇が「鎮護国家(仏教の力で国を安定させる)」を願って、741年に全国に建立を命じたお寺なんだって。



国家プロジェクトのお寺?
まぁそういうことかな。
当時の日本には約60の国があって、それぞれに1つずつ作られたみたい。
- 国分寺:男性僧侶
- 国分尼寺:女性僧侶
って分けたらしいよ。
ちなみに正式名称は
- 国分寺
金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら) - 国分尼寺
法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)
だって(ウィキペディア参照)。



中二病かな?
確かに(笑)
国分寺、国分尼寺の管理は国府が行っていたため、国府の近くに作られることが多かったと。
実際、三河国府から、三河国分寺、三河国分尼寺までの距離は直線で1.5kmもありません。
そしてもう一つお伝えすべきことがあります。
昔の国には「格の高い神社ランキング」がありまして、そのトップが一宮(いちのみや)なんですね。



豊川市にもあるじゃん!
そう、三河一宮。
一宮は「その国で一番重要な神社」で、国の守り神という位置付けなんだって。
国司(国の役人)が着任するとまず一宮に参拝する習慣があるなど、つまりは「国の公式神社」みたいな存在なんですが、三河一宮にある、三河国の一番重要な神社と言えば、どこだと思いますか?



流鏑馬の?
その通り!
皆さんご存知、
砥鹿神社
が、三河国で一番重要な神社だったんです。
砥鹿神社の公式サイトによると、どうやら1300年以上前からあるらしい。



マジ?豊川稲荷は?
えーとね…約580年くらい前だって。
…マジ?700年以上の差があるってことは、
砥鹿神社は
豊川稲荷の
大先輩
ってことじゃん!



デカいツラしやがって…!
まぁ実際、今の豊川市は豊川稲荷がないと成り立たないからね、きっと。
いやそれにしても驚いたな…。
ちなみに、神社史研究会というサイトによると、三河国の
- 一宮:砥鹿神社(豊川市)
- 二宮:知立神社(知立市)
- 三宮:猿投神社(豊田市)
なんだって。
ついでに尾張国は
- 一宮:真清田神社(一宮市)
- 二宮:大縣神社(犬山市)
- 三宮:熱田神宮(名古屋市)
らしいよ。
豊川市民の皆さん、砥鹿神社をもっと崇め奉ってた方がいいかもしれません!
1300年以上の歴史、ご利益がありそうです…!!
それにしても、ちょっと豊川市の歴史に興味が出てきたかも!
今回のような文化財保護用地が他にもあるのかしら?と思って調べてみたら、「埋蔵文化財包蔵地」というのがあった。
文化財保護用地とはちょっと違いそうですが、豊川市役所によると
土地に埋まっている土器や石器のような昔の人の使用していた物(遺物)が埋蔵文化財で、この埋蔵文化財が埋まっている場所(昔の人が生活していた集落の跡や貝塚、古墳、城跡など:遺跡とも呼ばれます)を埋蔵文化財包蔵地と呼びます。
引用:豊川市役所
なんだって。
で、この埋蔵文化財包蔵地が豊川市にどれくらいあるかというと…
約700箇所
もあるらしい!(平成24年1月4日現在)



結構あるー(笑)
「きらっと☆とよかわっ!」で確認も出来ます。
そういえば姫街道沿いの方に何かお寺みたいなのが建ってたけど、それも三河国府跡に関係があるんでしょうか?


さて、結局何が言いたかったかよく分かりませんが、白鳥町で見つけた「文化財保護用地」とは、簡単に言えば「遺跡を守るための土地」です。
この三河国府跡、豊川市のサイトに「新規の史跡指定として三河国府跡が文部科学大臣に答申されました」というページがありました。
同内容の東愛知新聞の記事によると、「指定を機に国府跡に公園を整備する計画を立てている」とも書かれてました。
今は更地ですが、文化財保護のため、もしかしたらゆくゆくは史跡公園とかになる可能性もあったり…?
文化庁の「国指定文化財等データベース」を見ると、
- 三河国府跡:指定日 2024.02.21
- 三河国分寺跡:指定日 1922.10.12
- 三河国分尼寺跡:指定日 1922.10.12
三河国分寺跡、三河国分尼寺跡の約100年後に三河国府跡が指定されてました。



なんかすごい!
「歴史」って感じだよね!!
史跡になると、国が保護することになります。
文化財保護法の対象になり、勝手に掘れない等の制限はありますが、国の補助金が出るので
- 発掘
- 整備
- 保存
などが国の補助を受けて出来るようになるため、史跡公園になることが多いとのこと。
史跡は「国宝」や「重要文化財」と並ぶ「国指定文化財」です。
つまり…
国レベルで
重要な遺跡
という扱いになります。
豊川市民の皆さん、三河国府跡がどれほどすごい文化財かお分かり頂けましたでしょうか?
また、「1300年前の豊川市は三河の政治の中心地だった」ということも忘れてはいけません。
豊川市の歴史、深堀していけばまだまだ楽しめそうです!
機会があればまた探ってみまーす。
※歴史の専門家ではありませんので間違ってたらすみません!
【参考サイト】
- 豊川市役所「豊川市文化財保存活用地域計画」
- 豊川市役所「新規の史跡指定として三河国府跡が文部科学大臣に答申されました」
- 豊川市役所「埋蔵文化財の取扱いについて」
- きらっと☆とよかわっ!「埋蔵文化財情報について」
- 東愛知新聞「豊川の三河国府跡 国史跡に指定へ」
- 文化庁「国指定文化財等データベース」
- 神社史研究会
- 砥鹿神社


